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その“当たり前”こそ、悟りだった。 ―心の静けさに気づいた私の話

kayo0512

心に苦しみを抱える私のような人間にとって、
「悟り」とは、ある意味“憧れ”のような存在でした。

悟りに達すれば、
心の苦しみから永遠に解放されて、
ずっと幸せな状態でいられるのではないか――。

人間関係や仕事、お金といった悩みからも、
完全に自由になれるのではないか――。

そんなふうに、私はどこかで思い込んでいたのかもしれません。

もちろん、
ブッダやイエス・キリストのように
「本当に悟った」と言われる人々の境地は、
私にはわかりません。

ただ、
10年以上にわたって「心」や「スピリチュアル」を追い求めてきた
私自身の体験から言えることがあります。

それは――

「悟り」とは、
決して特別なものではなかったということ。

それは、あまりにも当たり前で、
あまりにも“日常”そのものでした。

当たり前にご飯を食べる。
当たり前に夫や子どもたちと会話をする。
当たり前に仕事をする。
当たり前に家事をこなす。

――そんな日常の「当たり前」を、
ただ「当たり前に」できることだったのです。

きっと、
以前の、あの苦しみの渦中にいた自分なら、こう言うでしょう。

「そんなの毎日やってるよ!でも、それが苦しいの!」

わかります。
あの頃の私も、まさにそうでした。

だけど――

「悟り」とは、
目の前のことにただ没頭できること。
心静かに、穏やかに、
(ある意味、満ち足りた幸せを感じながら)
ただ“生きている”ということ。

そんな、「当たり前」の中にこそ、
静かに宿っていたのです。

反対に言えば――

その「当たり前」を、
その日常を、

心穏やかに、どこかで幸せを感じながら、
ただ淡々と生きていくこと。

それが自然とできているということ。

それこそが、
「悟り」と呼べるものなのかもしれません。

私にとっての「悟り」とは、
何か特別な体験でも、劇的な変化でもありませんでした。

むしろ、
ふとした瞬間に訪れる、小さな気づき――。

たとえば、
子どもの寝顔を見て「今ここに幸せがある」と感じるような、
そんな、ごくささやかな満ち足りた感覚。

何も変わっていないのに、
何かが静かに“ゆるんでいる”ような感覚。

それが、私にとっての「悟り」のゴールでした。

ABOUT ME
管理人(別称:おかあちゃん)
管理人(別称:おかあちゃん)
ただのかあちゃん
生粋の熊本人。スペインにちょっぴり住んでたこともあり、スペイン大好き。 子育て中のすべての人が、もっと気楽に、豊かに楽しく暮らすための情報を皆様にお届けすべく、日々奮闘中です。
趣味は瞑想、ランニング。美味しい日本茶を淹れてほっと一息つくのも大好きです。
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